The Sea
Japanese title:
海《うみ》
Author:
Dazai Osamu
太宰治《だざいおさむ》
Translation and notes:
Dan Bornstein
海《うみ》
Author:
Dazai Osamu
太宰治《だざいおさむ》
Translation and notes:
Dan Bornstein
> Bilingual text
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東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、
東京《とうきょう》の三鷹《みたか》の家《いえ》にいた頃《ころ》は、毎日《まいにち》のように近所《きんじょ》に爆弾《ばくだん》が落《おち》ちて、私《わたし》は死《し》んだってかまわないが、
When we still lived in our house in Mitaka, Tokyo, bombs were falling in the neighborhood practically every day. While I personally didn't mind dying,
▼
しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。
しかしこの子《こ》の頭上《ずじょう》に爆弾《ばくだん》が落《お》ちたら、この子《こ》はとうとう、海《うみ》というものを一度《いちど》も見《み》ずに死《し》んでしまうのだと思《おも》うと、つらい気《き》がした。
I was nevertheless deeply troubled by the thought that if a bomb were to fall on my daughter's head, the girl would end up dying without having seen the sea—the actual thing—even once.
▼
私は津軽平野のまんなかに生れたので、海を見ることがおそく、十歳くらいの時に、はじめて海を見たのである。
私《わたし》は津軽平野《つがるへいや》のまんなかに生《う》れたので、海《うみ》を見《み》ることがおそく、十歳《じゅっさい》くらいの時《とき》に、はじめて海《うみ》を見《み》たのである。
As I was born in the middle of Tsugaru Plain, it took a long time before I finally got to see the sea; I first saw it when I was about ten years old.
▼
そうして、その時の大興奮は、いまでも、私の最も貴重な思い出の一つになっているのである。
そうして、その時《とき》の大興奮《だいこうふん》は、いまでも、私《わたし》の最《もっと》も貴重《きちょう》な思《おも》い出《で》の一《ひと》つになっているのである。
And the great excitement I felt at that time is one of my most cherished memories to this very day.
▼
この子にも、いちど海を見せてやりたい。
この子《こ》にも、いちど海《うみ》を見《み》せてやりたい。
I wanted to show my daughter the sea too, just for once.
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子供は女の子で五歳である。
子供《こども》は女《おんな》の子《こ》で五歳《ごさい》である。
The girl was then five years old.
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やがて、三鷹の家は爆弾でこわされたが、家の者は誰も傷を負わなかった。
やがて、三鷹《みたか》の家《いえ》は爆弾《ばくだん》でこわされたが、家《いえ》の者《もの》は誰《だれ》も傷《きず》を負《お》わなかった。
Before long our house in Mitaka was destroyed by a bomb, but none of us was hurt.
▼
私たちは妻の里の甲府市へ移った。
私《わたし》たちは妻《つま》の里《さと》の甲府市《こうふし》へ移《うつ》った。
We moved to my wife's hometown, Kōfu.
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しかし、まもなく甲府市も敵機に襲われ、私たちのいる家は全焼した。
しかし、まもなく甲府市《こうふし》も敵機《てきき》に襲《おそ》われ、私《わたし》たちのいる家《いえ》は全焼《ぜんしょう》した。
But shortly afterward Kōfu too was attacked by enemy bombers, and the house we were staying in was burned to the ground.
▼
しかし、戦いは尚つづく。いよいよ、私の生れた土地へ妻子を連れて行くより他は無い。
しかし、戦《たたか》いは尚《なお》つづく。いよいよ、私《わたし》の生《う》れた土地《とち》へ妻子《つまこ》を連《つ》れて行《い》くより他《ほか》は無《な》い。
Nevertheless, the war was still going on. At that point I had no alternative but to take my wife and daughter and go to my native region.
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そこが最後の死場所である。
そこが最後《さいご》の死場所《しにばしょ》である。
That was the final destination for us, where we would die if we had to.
▼
私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。
私《わたし》たちは甲府《こうふ》から、津軽《つがる》の生家《せいか》に向《むかって》って出発《しゅっぱつ》した。
We left Kōfu and headed over to my hometown in Tsugaru.
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三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。
三昼夜《さんしゅうや》かかって、やっと秋田県《あきたけん》の東能代《ひがしのしろ》までたどりつき、そこから五能線《ごのうせん》に乗《の》り換《か》えて、少《すこ》しほっとした。
After three days and three nights we finally made it to Higashinoshiro, Akita Prefecture. There we changed trains for the Gōno line, and felt somewhat relieved.
▼
「海は、海の見えるのは、どちら側です。」私はまず車掌に尋ねる。
「海《うみ》は、海《うみ》の見《み》えるのは、どちら側《がわ》です。」私《わたし》はまず車掌《しゃしょう》に尋《たず》ねる。
"The sea—from which side do we get a view of the sea?" I asked the conductor first thing.
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この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。
この線《せん》は海岸《かいがん》のすぐ近《ちか》くを通《とお》っているのである。私《わたし》たちは、海《うみ》の見《み》える側《がわ》に坐《すわ》った。
This line runs right along the coast. We sat on the side of the train that had a view to the sea.
▼
「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」
「海《うみ》が見《み》えるよ。もうすぐ見《み》えるよ。浦島太郎《うらしまたろう》さんの海《うみ》が見《み》えるよ。」
"Here's the sea. We're about to see the sea. We'll get a view of Urashima Tarō's sea!"
▼
私ひとり、何かと騒いでいる。
私《わたし》ひとり、何《なに》かと騒《さわ》いでいる。
I alone kept making myself heard in various ways.
▼
「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」
「ほら! 海《うみ》だ。ごらん、海《うみ》だよ、ああ、海《うみ》だ。ね、大《うみ》きいだろう、ね、海《うみ》だよ。」
"Here! The sea. Look, it's the sea! Oh, the sea. Hey, it's big, isn't it? Right? The sea!"
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とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。
とうとうこの子《こ》にも、海《うみ》を見《み》せてやる事《こと》が出来《でき》たのである。
At long last I could show the sea to my daughter, as well.
▼
「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。
「川《かわ》だわねえ、お母《かあ》さん。」と子供《こども》は平気《へいき》である。
"It's a river, right, mom?", said the kid nonchalantly.
▼
「川?」私は愕然がくぜんとした。
「川《かわ》?」私《わたし》は愕然《がくぜん》とした。
"River?" I was astonished.
▼
「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。
「ああ、川《かわ》。」妻《つま》は半分《はんぶん》眠《なむ》りながら答《こた》える。
"Yeah, river", replied my wife, half-asleep.
▼
「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」
「川《かわ》じゃないよ。海《うみ》だよ。てんで、まるで、違《ちが》うじゃないか! 川《かわ》だなんて、ひどいじゃないか。」
"It's not a river! It's the sea! You're completely, utterly wrong! 'A river'—what an outrageous thing to say!"
▼
実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。
実《じつ》につまらない思《おも》いで、私《わたし》ひとり、黄昏《たそがれ》の海《うみ》を眺《なが》める。
Feeling totally disappointed, I gazed all by myself at the sea in the twilight.
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東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、
東京《とうきょう》の三鷹《みたか》の家《いえ》にいた頃《ころ》は、毎日《まいにち》のように近所《きんじょ》に爆弾《ばくだん》が落《おち》ちて、私《わたし》は死《し》んだってかまわないが、
When we still lived in our house in Mitaka, Tokyo, bombs were falling in the neighborhood practically every day. While I personally didn't mind dying,
- 三鷹: A city in Tokyo Metropolis, immediately to the west of Tokyo's 23 Special Wards.
- 死んだって = 死んでも.
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しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。
しかしこの子《こ》の頭上《ずじょう》に爆弾《ばくだん》が落《お》ちたら、この子《こ》はとうとう、海《うみ》というものを一度《いちど》も見《み》ずに死《し》んでしまうのだと思《おも》うと、つらい気《き》がした。
I was nevertheless deeply troubled by the thought that if a bomb were to fall on my daughter's head, the girl would end up dying without having seen the sea—the actual thing—even once.
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私は津軽平野のまんなかに生れたので、海を見ることがおそく、十歳くらいの時に、はじめて海を見たのである。
私《わたし》は津軽平野《つがるへいや》のまんなかに生《う》れたので、海《うみ》を見《み》ることがおそく、十歳《じゅっさい》くらいの時《とき》に、はじめて海《うみ》を見《み》たのである。
As I was born in the middle of Tsugaru Plain, it took a long time before I finally got to see the sea; I first saw it when I was about ten years old.
- 津軽平野: An expansive plain in the middle of Aomori Prefecture, Dazai's native region.
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そうして、その時の大興奮は、いまでも、私の最も貴重な思い出の一つになっているのである。
そうして、その時《とき》の大興奮《だいこうふん》は、いまでも、私《わたし》の最《もっと》も貴重《きちょう》な思《おも》い出《で》の一《ひと》つになっているのである。
And the great excitement I felt at that time is one of my most cherished memories to this very day.
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この子にも、いちど海を見せてやりたい。
この子《こ》にも、いちど海《うみ》を見《み》せてやりたい。
I wanted to show my daughter the sea too, just for once.
- いちど = 一度.
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子供は女の子で五歳である。
子供《こども》は女《おんな》の子《こ》で五歳《ごさい》である。
The girl was then five years old.
- Literally "the child is a girl and is five years old". The sentence is about the time of the story in the past, not the girl's current age at the time of writing.
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やがて、三鷹の家は爆弾でこわされたが、家の者は誰も傷を負わなかった。
やがて、三鷹《みたか》の家《いえ》は爆弾《ばくだん》でこわされたが、家《いえ》の者《もの》は誰《だれ》も傷《きず》を負《お》わなかった。
Before long our house in Mitaka was destroyed by a bomb, but none of us was hurt.
- 傷を負わなかった: 傷を負う is an expression meaning "to suffer injuries".
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私たちは妻の里の甲府市へ移った。
私《わたし》たちは妻《つま》の里《さと》の甲府市《こうふし》へ移《うつ》った。
We moved to my wife's hometown, Kōfu.
- 甲府市: The capital city of Yamanashi Prefecture, near Tokyo.
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しかし、まもなく甲府市も敵機に襲われ、私たちのいる家は全焼した。
しかし、まもなく甲府市《こうふし》も敵機《てきき》に襲《おそ》われ、私《わたし》たちのいる家《いえ》は全焼《ぜんしょう》した。
But shortly afterward Kōfu too was attacked by enemy bombers, and the house we were staying in was burned to the ground.
- 敵機: Also pronounced てっき.
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しかし、戦いは尚つづく。いよいよ、私の生れた土地へ妻子を連れて行くより他は無い。
しかし、戦《たたか》いは尚《なお》つづく。いよいよ、私《わたし》の生《う》れた土地《とち》へ妻子《つまこ》を連《つ》れて行《い》くより他《ほか》は無《な》い。
Nevertheless, the war was still going on. At that point I had no alternative but to take my wife and daughter and go to my native region.
- 妻子: Also さいし (more neutral or formal).
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そこが最後の死場所である。
そこが最後《さいご》の死場所《しにばしょ》である。
That was the final destination for us, where we would die if we had to.
▼
私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。
私《わたし》たちは甲府《こうふ》から、津軽《つがる》の生家《せいか》に向《むかって》って出発《しゅっぱつ》した。
We left Kōfu and headed over to my hometown in Tsugaru.
- 生家: Literally "the house I was born in".
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三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。
三昼夜《さんしゅうや》かかって、やっと秋田県《あきたけん》の東能代《ひがしのしろ》までたどりつき、そこから五能線《ごのうせん》に乗《の》り換《か》えて、少《すこ》しほっとした。
After three days and three nights we finally made it to Higashinoshiro, Akita Prefecture. There we changed trains for the Gōno line, and felt somewhat relieved.
- 東能代: An railway station in the city of Noshiro.
- たどりつき: From the verb 辿り着く.
- 五能線: A national (JR) railway line connecting Akita and Aomori. For most of its length the line closely follows the coast of the Sea of Japan.
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「海は、海の見えるのは、どちら側です。」私はまず車掌に尋ねる。
「海《うみ》は、海《うみ》の見《み》えるのは、どちら側《がわ》です。」私《わたし》はまず車掌《しゃしょう》に尋《たず》ねる。
"The sea—from which side do we get a view of the sea?" I asked the conductor first thing.
▼
この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。
この線《せん》は海岸《かいがん》のすぐ近《ちか》くを通《とお》っているのである。私《わたし》たちは、海《うみ》の見《み》える側《がわ》に坐《すわ》った。
This line runs right along the coast. We sat on the side of the train that had a view to the sea.
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「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」
「海《うみ》が見《み》えるよ。もうすぐ見《み》えるよ。浦島太郎《うらしまたろう》さんの海《うみ》が見《み》えるよ。」
"Here's the sea. We're about to see the sea. We'll get a view of Urashima Tarō's sea!"
- 浦島太郎: The hero of a famous folk legend. Urashima was a fisherman who rescued a turtle and was rewarded with a seemingly short visit to an underground palace, during which 300 years passed in the human world.
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私ひとり、何かと騒いでいる。
私《わたし》ひとり、何《なに》かと騒《さわ》いでいる。
I alone kept making myself heard in various ways.
▼
「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」
「ほら! 海《うみ》だ。ごらん、海《うみ》だよ、ああ、海《うみ》だ。ね、大《うみ》きいだろう、ね、海《うみ》だよ。」
"Here! The sea. Look, it's the sea! Oh, the sea. Hey, it's big, isn't it? Right? The sea!"
- ごらん = ご覧. An expression meaning "(to) have a look", which can also be used on its own as a request.
▼
とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。
とうとうこの子《こ》にも、海《うみ》を見《み》せてやる事《こと》が出来《でき》たのである。
At long last I could show the sea to my daughter, as well.
- This sentence gives the background to the preceding sentences. The writer explains why he was so excited.
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「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。
「川《かわ》だわねえ、お母《かあ》さん。」と子供《こども》は平気《へいき》である。
"It's a river, right, mom?", said the kid nonchalantly.
- わねえ: The soft feminine assertion particle わ + a lengthened ね.
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「川?」私は愕然がくぜんとした。
「川《かわ》?」私《わたし》は愕然《がくぜん》とした。
"River?" I was astonished.
▼
「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。
「ああ、川《かわ》。」妻《つま》は半分《はんぶん》眠《なむ》りながら答《こた》える。
"Yeah, river", replied my wife, half-asleep.
▼
「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」
「川《かわ》じゃないよ。海《うみ》だよ。てんで、まるで、違《ちが》うじゃないか! 川《かわ》だなんて、ひどいじゃないか。」
"It's not a river! It's the sea! You're completely, utterly wrong! 'A river'—what an outrageous thing to say!"
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実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。
実《じつ》につまらない思《おも》いで、私《わたし》ひとり、黄昏《たそがれ》の海《うみ》を眺《なが》める。
Feeling totally disappointed, I gazed all by myself at the sea in the twilight.
> Original non-annotated text
海
太宰治
東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。私は津軽平野のまんなかに生れたので、海を見ることがおそく、十歳くらいの時に、はじめて海を見たのである。そうして、その時の大興奮は、いまでも、私の最も貴重な思い出の一つになっているのである。この子にも、いちど海を見せてやりたい。
子供は女の子で五歳である。やがて、三鷹の家は爆弾でこわされたが、家の者は誰も傷を負わなかった。私たちは妻の里の甲府市へ移った。しかし、まもなく甲府市も敵機に襲われ、私たちのいる家は全焼した。しかし、戦いは尚つづく。いよいよ、私の生れた土地へ妻子を連れて行くより他は無い。そこが最後の死場所である。私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。
「海は、海の見えるのは、どちら側です。」
私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。
「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」
私ひとり、何かと騒いでいる。
「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」
とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。
「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。
「川?」私は愕然とした。
「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。
「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」
実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。
海
太宰治
東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。私は津軽平野のまんなかに生れたので、海を見ることがおそく、十歳くらいの時に、はじめて海を見たのである。そうして、その時の大興奮は、いまでも、私の最も貴重な思い出の一つになっているのである。この子にも、いちど海を見せてやりたい。
子供は女の子で五歳である。やがて、三鷹の家は爆弾でこわされたが、家の者は誰も傷を負わなかった。私たちは妻の里の甲府市へ移った。しかし、まもなく甲府市も敵機に襲われ、私たちのいる家は全焼した。しかし、戦いは尚つづく。いよいよ、私の生れた土地へ妻子を連れて行くより他は無い。そこが最後の死場所である。私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。
「海は、海の見えるのは、どちら側です。」
私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。
「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」
私ひとり、何かと騒いでいる。
「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」
とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。
「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。
「川?」私は愕然とした。
「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。
「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」
実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。